信じる事はできるから


 同じフレーズが繰り返され、早くなった信号機の警告音に行き交う人は皆早足で、波が引いていくように、道路から消えていく。
 思考を断ち切って、王泥喜は響也の腕を引っ張って向かい側へと歩き始めた。
「赤になります。」
「わかってるよ、そんな事。」
 響也は歩きながら王泥喜に掴まれていない方の腕で、垂れたマフラーを肩に上げた。纏められていない髪は風に舞う。キラキラと輝く様は不思議なほどに綺麗で、ポカンと開いた王泥喜の口から率直な言葉が生まれる。
 
「馬の鬣みたいに綺麗ですね。」

「あのさ、おデコくん。それって僕の髪の事かい? だったら成歩堂とつき合うの止めて欲しいね。」
 当然の如く、王泥喜の讃辞を聞いた響也からは、『そうかい嬉しいな』という感想は出てこなかった。馬と比べられて喜ぶ奴はいないはずだ。率直過ぎて、思慮を欠いた言葉だったと王泥喜は思う。環境が人を形づくる。…恐ろしい事だ。
「…気をつけます。」
「おデコくんが褒めてくれるの…嬉しいけどさ。」
 少しばかし紅潮させた頬に可愛いと思い、こればかりは口に出さなかった。きっと、言葉にしたのなら、今度は恥ずかしがってそっぽを向いてしまう。
「何処、行く?」
 ひそと囁く為に擦り寄ってきた響也に、やっとご機嫌が直った事を悟った王泥喜は、安堵の吐息を吐いた。



 王泥喜がリクエストしたのは、当然のように人目のないところ。ネオンの川から外れた小さな公園にあるベンチに、ふたりで腰を下ろす。
 息も白む外気温に、温もりを分かつように身体を寄り添った。
 響也が頭半分程度、高身長にも関わらず、こうして座っていればふたりの目線は上下に振れる事などない。すなわち、響也の脚は胴体よりも長いという事だ。
 
「もうそろそろ、雪が降りそうですね。」
 雪が降る時は、空気がキンと張りつめたように冷たくなる。今はそれほどではないけれど、なんだかそんな気がして王泥喜は夜空を見上げる。鉛色の雲が厚ぼったく空を覆っていた。
「だったら、ホワイトクリスマスかな。」
 響也が両手を口元に当てて、はぁと息を吹きかけると白い靄が生まれては消える。靄は眼鏡に触れると、レンズの端を白く変えて霧散していく。
 王泥喜が頭を傾けて触れたそれは、ひんやりと冷たくなっていた。
「仕事、でしたよね?」
「うん、仕事。おデコくんは?」
「成歩堂家のクリスマス会に呼ばれてて、全部毟られそうです。」
 口にしてから、実際問題冗談にならないと、王泥喜は後ろ頭を掻いた。そんな王泥喜を見ながら、響也はケラケラと笑う。
 (尻の毛まで)、なんて言うんだよねぇと下品な例えを口にした。綺麗な貌と台詞が一致しなくて、王泥喜もつられて苦笑する。
「でも、いいや。おデコくんがひとりじゃないなら。」
「クリスマスなんて、俺祝う歳じゃないですから気になりませんよ?」
 響也の心遣いは妙にくすぐったくて、気分は高揚しているのに、眉間には皺がよった。見つめる響也の顔も、綺麗な眉が八の字になっている。
「僕がひとりにさせたくないの。ひとりぼっちなんて、寂しいよ。」

 ………………法介君はひとりでも大丈夫なんて、偉いね。

 何故だか、幼い頃によく言われた台詞を思い出す。あの頃は、ひとりぼっちでも大丈夫なのが偉い事で、寂しいと思うのは偉くない事だった。
 だから、今でもつい反射的に(大丈夫)だと言ってしまう。それは、きっと生きてきた道の何処かでなくしてしまった欠片のひとつだ。

「おデコくんを成歩堂に引き渡すのなんか、本当は凄く悔しいんだからな。お嬢さんはいいとしても。」
「ちょ、止めて下さいよ。その犯罪者の拘置みたいに言うの。」
「だから、プレゼントくらい僕が先、だよ。」
 果たして成歩堂家のクリスマス会で、自分に得るものがあるのかという疑惑が王泥喜の頭に浮かんだ。きっとまた何か(断定金だ)を失う…間違いない。
「ね、何が欲しい?」
 ともかく、響也にそう言われて、審議の時にするように額に指先を当てて考え込む。横でニコニコしながら待ってるのは、きっとふたりでショッピングに行けると思っているからだ。軒を連ねるショーウィンドウを覗き、軽口を叩きながら連れ立つのは確かに楽しいだろうと王泥喜は思う。

 でも、だからと言って、自分は何が欲しいんだろうか?

 昔はおもちゃが欲しかった。成長期は食い物だったし、勉強している時は優秀な脳味噌を切望した。じゃあ、今は、なんだろう。
 財布、鞄、洋服、靴。どれをとっても、あればいいな、とは思う。でも、特別に欲しいものではない。生活用品は取りあえず欲しいけれど、サンタさんは所帯じみたものはくれないはずだ。
 一番は、俺を満たしてくれるものがいい。例えば、自分がなくした欠片。

 …なんだ、単純。
 額から指を外して、苦笑する。誰かを好きになってる時って、願いとか想いは恐ろしいほど、シンプルなんだと気付いた。両手を前について肩だけを王泥喜にぴたりとくっつけている響也に向き直る。期待に顔が綻ぶのが可笑しい。お預けを喰らってた犬みたいだ。
「凄く欲しいもの見つけました。というか、今はそれしか欲しくないっていうか。」
「何、なに何?」
 うんうんと首を上下に振りながら食いついてくる響也に澄ました顔で勿体ぶる。
「俺だけのものにしたいんですけど、こう、駅前にデカデカと看板なんて出てて、皆のものだったりして。」
「…。」
「でも、この街でたったひとつだけ、俺が欲しいものなんです。」

 流石に此処まで言えば、何の事だかわかるのだろう。
自分だって随分と気障な台詞を吐くくせに、目尻を赤くして黙り込んでしまった。困ったような照れてるような表情は、べそをかいてる子供みたいに無防備だ。
「えと、他…にはないの?」
 耳に微かに聞こえる程度の声。俺の希望通りにしたいんだけど、品物を送る望みが捨てきれないみたいだ。
 品物は…うん、あれがいい。

「他のものは、俺を信じさせてくれないんです。」 
 そう言って王泥喜は響也に腕を伸ばした。後頭部を押さえ込むようにして引き寄せ接吻を交わす。顔と顔の間にある眼鏡は額に当たって寒いし痛い。けれども、その痛みすら心地良い。ふわふわしてると夢心地なんだけど何処か頼りなくて、でも痛みは真っ直ぐに存在を伝えてくれる。
 一夜だけ、一瞬だけでも確かに繋いだ身体は、確かにひとりじゃないと信じさせてくれる。

「いいけど、なんかこう即物的っていうか…。いいけど、全然いいんだけど、「俺はセックスがしたいんじゃなくて、響也さんが欲しいです。」」
 絶句したような表情は、くくくと声を上げる笑い顔に変わる。コートをギュッと掴まれ、胸元に頭を埋められた。
「馬鹿おデコ、かっこよすぎ。」
 (君に酔いそうだ。)なんて続けられた言葉も、充分に王泥喜を赤面させる。
ああ、もうなんか。足腰立たないくらい酔わせてやりたい。

「じゃあ、俺にはホテルで缶ビール奢ってくださいね。」

 耳元で囁けば、もう一度馬鹿とかえってきた。


〜Fin



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